データラボのプロフィール
恵まれた環境
パリのエッフェル塔からモンマルトルの丘をながめるように、名古屋のテレビ塔から守山の丘陵地帯をながめると、ひときわ高く ランドルフ講堂の尖塔がそびえています、その裏山にデータラボがあります。
金城学院大学キャンパスのあるこのあたりは大森という地名で親しまれていますが、その裏山は地元では八竜山と呼び、野鳥と昆虫と植物に恵まれた地域です。 自然観察のフィールドとして、あるいはリラクゼーションの場として知る人ぞ知る所です。スタッフ一同も小幡緑地や緑ヶ池界隈でジョギングにバードウォッチング そして縄張りの見回りを楽しんでいます。
スタッフ紹介
この八竜山をデータラボの活動拠点として、晴れた日は営業、雨が降ったら開発という「晴耕雨読」的生活を実践している常勤スタッフは現在2名
- 石五郎(霊長類ヒト科):開発、営業、サポート担当
- お嬢(猫族トラ科):シンパシー担当
データラボのスタッフは『仕事よりも人生の方が大切だよね』という感じでより人間的な生き方を実践するため様々な形で情報発信をしています。 石五郎のブログ「lifestyle」とお嬢のウェブリアルバムも是非ご覧下さい。
実績と製品のご紹介
SE業務を中心に活動していますがプログラミングも手がけます。小規模なシステムなら単独で開発、運用、サポートまでこなします。
得意分野 は旅行業とセキュリティ。Webサイト構築からライターとしてコンテンツ作成もというでしゃばりな性格ですが、ユーザーサイドの視点に立ったトータルサポートを めざしています。
製品紹介
- クリップボード使用履歴管理と自動印刷ツール「CBCatcher」
石五郎の独立宣言
起業を決意したいきさつは?
ずっと旅行会社で営業をやってたんですが、自分の仕事を楽にしたいと思って1994年頃からパソコンの勉強を始めたんです。最初は表計算ソフトで仕事を管理していたんですが、すぐにこれはデータベースだと思ってACCESSで作りだしたんです。そうしたらメチャクチャ面白くなってしまい寸暇を惜しんで勉強しました。このとき自動車を運転しながら勉強する特技を身につけました。
そうこうしている間に会社でもあいつは営業よりそっちの方が向いてるってんでシステム開発担当になってしまったんです。でも40代半ばでSEに鞍替えなんて全く世の中の常識からはずれてますね。もともと、エンドユーザーとして関わり はじめたコンピュータの世界だったし持って生まれた性分もあって何から何まで自分でやりたいんですね。会社の方針と合わずによくぶつかりました。そのうちに組織の中で仕事をするのが窮屈になってきたんです。
3年前に早期退職制度で退職金が割り増しになるというので手を上げたんです。実はその半年前くらいからモヤモヤしていてキッカケがあればいつでも辞めるような精神状態だったんです。だから起業というより飛び出すのが目的だったかもしれません。
会社を辞める!と伝えた時の友人や親戚の反応は?
「無謀な!」「大丈夫か?」「はやまるな。」という声が多かったですね。まあ自分でも見る前に跳んだなって思います。でも50歳を前にして最後のチャンスだと思ってました。だから退職金を全部つぎこんでもローンは残るは、子供はこれから受験で金がかかるはで、自分でも少しはやまったなと思ったこともありました。カミさんが一度もグチを言わないのが救いですね。わが家のガミゴンには感謝してます。
起業してからの2年を振り返ってみてどうですか?
一言でいうと「安住の地を離れても安住を求めていた。」と反省しています。辞めるときに手掛けていたシステムで食いつないでその間に新しいビジネスの準備を進めようと思っていたんですが、既存の仕事 に甘えて新しい事にチャレンジしようというハングリー精神が薄れて いたんですね。
それに気がついたのは行政書士の小坂さんのおかげです。創業プラザあいちでお話をうかがう機会があったのですが、一カ月の間仕事が全く入らないというような状況がむしろ人間をダイナミックにさせるといった趣旨のご自身の体験談が実に面白く、目からウロコが何枚も落ちました。その時ですね、開発したソフトをきちんと世に問うためにホームページを整備しようと決意したのは。
先人に学ぶことがあるとすれば失敗してもへこたない精神です。新しい事や困難な目標に挑めばいくつも失敗を重ねるのは当たり前で、そうしなければ目標に到達しないですね。今は 本当にゼロからのスタートなので吹っ切れた感じでワクワクしています。新しい世界にチャレンジというと少し恥ずかしいのですがこれからが本当の起業だと思っています。
2005年5月9日PM 自問自答によるバーチャルインタビュー